【所属先は?】田中佑汰 個人で道を開く努力家 コーチとの関係を深掘り

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田中佑汰選手は卓球界の期待のホープの1人です。海外リーグでも活躍し、ランク上位の選手から大金星をあげています。彼がどこに所属しているのか、そして彼のコーチとの関係性はどのようなものなのでしょうか?この記事では、それらの疑問について探ります。

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目次

田中佑汰 個人で道を開く努力家と意外な一面

『自立心』と『飛躍』の原点

幼少期は親の仕事の都合で引越しが多かった田中佑汰選手。転居した回数はなんと計4回。環境に馴染むのはさぞかし大変だったと思います。

卓球を始めたのは姉の田中千秋さんの影響です。千秋さんも2023年の3月まで実業団の豊田自動織機の選手としてプレーをしていました。(現在は引退しコーチをされています)

最初はオリンピックになど考えてもいなかった彼が本格的に卓球熱に目覚めたのが小学校6年生。熊本の名門卓球クラブ城山ひのくにジュニアに入団し、元日本代表の松下雄二氏に声をかけられたのがきっかけとなりました。

小学校6年生の佑汰少年。卒業後に地元の中学に通わず、親元を離れ愛工大名電中学校へ進するという道を選んだのです。まだまだ幼い少年がなぜ、親元を離れる選択をしたのか?

当時の少年の心に様々な葛藤はあったと思いますが、親の転勤で様々環境に慣れてきたことは、彼の自立心を掻き立てるものがあったのかもしれません。

この選択がその後の彼の才能を一気に開花せました。大学卒業までの彼の活躍を見れば言うまでもありませんね。

そこが知りたい 田中佑汰成績は?

愛工大名電中学時代:

  • 中学3年生の時に全日本中学卓球選手権(全中)のシングルスで準優勝。

愛工大名電高校時代:

  • 1年生からレギュラーとして活躍。
  • インターハイでは3年連続学校対抗優勝、3年連続シングルスベスト4以上、ダブルスは優勝2回、準優勝1回。

愛知工業大学時代:

  • 2021年の全日本選手権では東京五輪代表の丹羽孝希を破り3位。
  • 2022年には全日本大学総合選手権で優勝。
  • 2023年の全日本では姉の田中千秋と組み、混合ダブルスで準優勝。

モチベーションベーションを維持できていたのはゲームのおかげ!?

幼少期からゲームが大好きな田中佑汰選手。「目標の達成や大会に入賞すればゲームを買ってもらえる」と言うのが家族の決まり事でした。現在もスマホゲームに熱中することも・・・。スマホだと場所に関係なく手軽にできますからね。

卓球に専念するために時間が避けないだけで、本当はプレーステーションやSwitchをやりたいほどのゲーマーな一面も。ゲームが試合での集中力などに良い影響を与えているのかもしれませんね。

海外リーグでの活躍と挑戦 

田中佑汰選手の活躍は国内だけにとどまりません。2018年ベラルーシで開催された『ITTFチャレンジ・ベラルーシオープン』では、曽根翔選手とペアを組みダブルスで優勝。

世界トップレベルの波いる強豪にも次々と勝利しています。

印象残るのが、2019年のブルガリアオープン。元世界ランク1位のブラディミル・サムソノフ(ベラルーシ)を撃破。

そして、2023年のアジア選手権では、世界ランキング2位(当時)の王楚欽(ワンチューチン・中国)をゲームカウント3−2の接戦で勝利しています。

中国トップ3の選手に勝利したことで、パリ五輪選考10ポイントを獲得。世界と互角に戦えることを示すことができました。

遡り2021年。愛知工業大学3年の時に、ヨーロッパで最も卓球が盛んなドイツ・ブンデスリーガ1部(バート・ホンブルク)で挑戦をしています。このドイツに渡ったことが「本気でプロとして卓球に取り組む」きっかけとなっています。

特に同じチームメイトであったルボミール・ヤンカリク(チェコ)のプロとしての卓球に対する姿勢に大きな刺激を受けています。田中佑汰選手はヤンカリクから、試合に向かうための「準備の仕方が大切」であるということを学んでいます。

チームは惜しくも2部に降格してしまいましたが、個人としては7勝3敗と好成績をおさめ、さらなる技術の向上と経験値の向上に成功しました。

田中佑汰の成長を支える チームTanaka(コーチ)

日本卓球界レジェンドとの出会い

松下氏と言えば、1993年に全日本選手権 男子ダブルスで優勝し、翌年には全日本選手権シングルス準優勝を成し遂げた卓球界のレジェンド。

田中佑汰選手が松下氏と出会ったのが、本格的に卓球に取り組むようになった13歳。熊本の名門卓球クラブ『城山ひのくにジュニア』に加入したことが大きな転機となりました。松下氏から田中佑汰選手にかけた言葉が・・・。

「本気で(卓球を)やってみないか?」

この言葉が、彼の飛躍的な成長するきっかけとなったとなったのです。

その後、ジュニア世代の男子ホープスナショナルチーム監督も務める松田氏からは10年後に向けた世界と戦うための指導を受けてきました。

李龍飛コーチとの出会いと影響

李龍飛コーチとは愛工大名電中・高や愛知工業大などを長く指導してきた董崎岷コーチを介して知り合うことになりました。「自分に足りないところを探し求める」。彼の飽くなき向上心は、自ら行動することで、李龍飛と言う素晴らしコーチと出会うことができたのです。

李龍飛コーチは中国のナショナルチームにも所属していた経歴があります。中国卓球の基本に忠実な部分、フットワークや足の使い方を教わることで、新たな可能性を見出すことになりました。

田中佑汰 個人で道を開く努力家 自立心旺盛な青年の挑戦

田中佑汰の所属先探しの現状

田中佑汰選手は、愛知工業大学に卒業後、業団に所属するのではなく個人で活動をしています。プロとしてキャリアが浅いためスポンサーは少なく、海外への遠征費用などには苦慮しているようです。海外遠征の際は、練習する相手やトレーナーも帯同させているので費用を工面するのは大変だと思います。

そのため、クラウドファンディングを通じた活動資金の募集をしています。現状では目標金額を超えて集まっているようなので、彼を支持する多くファンがいることがわかります。

しかしクラウドファンディングだけでは、トップへ駆け上がるの難しいのも現実。

実業団に所属するとなると、通常の仕事もあり、卓球だけに専念することは難しいので、彼の中では、水谷隼選手や石川佳純選手など、大型スポンサーと契約して活動していくことが大きな理想なのではないかと思われます。

そのためには、パリオリンピックで結果を残すことが必要になってきますね!

田中佑汰 個人で道を開く努力家 未来への展望

今後、田中佑汰選手が上位にあがっていくためにも限られた人しか出場できないWTTチャンピオンズのレベルまで引き上げていく必要があります。

また、世界ランク68位(2024年2月現在)ということもあり、なかなか注目されないのも現実。彼も世界ランク10位位以内に入ることを目標に上げています。そうなると、張本選手や現役を引退した水谷選手の壁を超えていかなければなりませんね。

まとめ

田中佑汰選手が世界の檜舞台で戦うまでには、優れたコーチとの出会いにより才能を開花させてきたことがわかりました。所属先がない状況で挑戦するなか、世界選手権やパリ五輪で結果を出すことで、是非、多くのスポンサーを獲得し、さらなる活躍が見れることを期待しましょう!

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